雲州人参とは?
About Unsyu Ninjin?
雲州人参の歴史や由来
八代将軍吉宗の治世に日光で栽培が始まった高麗人参は野州人参と呼ばれます。国民の健康を守る為の薬事行政と国内の銀の海外流出を止める為の経済政策の両面からこの事業は進められました。江戸時代に雲州と呼ばれた出雲国の松江藩で試作が始まったのは宝暦10年(1760年)のことです。小村新蔵(おむらしんぞう)、茂重(もじゅう)親子2代にわたる研究の結果、文化年間に安定した栽培が可能になり、この地で栽培される高麗人参は雲州人参と呼ばれるようになりました。雲州人参は高麗人参の中でも最高級品とされ、松江藩の財政立て直しにも貢献したとされています。
雲州人参と他の日本産高麗人参との違い
雲州人参は会津産の高麗人参とは異なり、国内販売されることなく、長崎の出島から清国の商人に直接販売されていました。その姿が清国商人に非常に喜ばれたのは高麗人参の独特な評価法にあるといわれます。高麗人参は人の形を模して、大きく手足を広げた形態のものが好まれます。いくら大きくても大根のような形で細根の少ないものは評価されません。これは一見迷信的と思われるかもしれませんが、実際に占有する土壌体積が大きく、その中から養分を得ることを考慮すれば合理的とも考えられます。実際にこうした形態の高麗人参のサポニン含有量は多いといわれます。
雲州人参の産地である大根島の地でどのような過程でこうした植物体が形成されるのかは今後の研究を待たれますが、この地の種子を長野で栽培しても同じような形態にならないことが知られています。
雲州人参には200年にわたる伝統がありますが、その間一貫して品質は開城(ケソン・北朝鮮)の高麗人参とともに世界一との評価を受けています。国際市場では韓国のブランドである正官庄(チョンカンジョ)の価格を上回ります。中国産の長白人参に対しては7倍ともいわれます。
雲州人参の生産に課題
雲州人参の品質は高麗人参の中でも高いものですが、生産に関する様々な課題を抱えています。栽培には手間がかかり、収穫までに6年を要します。こうした背景から生産者の労働条件は過酷なものとなり生産農家数も減っています。現在では雲州人参の生産量が減少し、幻になろうとしているのです。本プロジェクトを通して雲州人参栽培の現状と問題点を洗い出し、品質の高い雲州人参の生産性を確保し、地域社会の活性化に繋げたいと考えています。
本プロジェクトに関するお問い合わせはproject★unsyu-ninjin.jpまでご連絡ください(★を@に変換してご利用下さい)。
— 補足 —
写真
徳川記念財団所蔵
大根島の雲州ニンジン